■先生になるまでの話。

大学のころ
 教員養成過程で心理学を勉強していたが、やってたことはほとんどダンス。九州大会で上位に入るという目標のためにおどりまくっていた・・・くせに、教育実習で出会った子どもたちの御陰で「先生っていいなぁ・・・・よし、先生になるか!」と思うようになる(決して「魔女の条件」ではない。)。
 それから教授のお手伝いでボランティアのカウンセリングとか参加するようになる。しかし、目の前のクライアントに対して何もできないという事を実感して、教師みたいな人の将来を左右する職業はできない!と思う。(別に今もそんなたいそうなことはできないけど・・・このころは、関わったら絶対良くしないといけない!って思ってたからなぁ。)
 で、あっさり企業に就職。引っ越し。

企業で
 接待要員!と言わんばかりに毎日飲み。朝も早いし、くたくただがお客さんが取れると営業って楽しい。
 しかし、夏に高校時代の親友が交通事故で亡くなる。その時に「やりたいことがあっても、死んでしまったらできないんだ」と思うようになる。「いろいろ言い訳しても、やりたいことはまだやりたいし」「自信ないけどできるならやってみたいな」「明日死ぬかもしれないし!」「やっちゃえ!!」という感じで、ワインを2本空け、勢いで辞表を書く。
 案の定止められたが、最後には上司も「がんばれ」と言ってくれた。

講師になって
 それまで「講師」という仕事があることも知らなかったが、当時教育委員会に勤めていた弟がおしえてくれて、履歴書を送ってみる。3日後に連絡があり、その2日後から2年生少人数担当として職を得る。通勤1時間(爆)でも、何でも楽しく感じられたころ。3ヶ月の勤務。
 次は3学期の間の家庭科専科。通勤時間15分に短縮。家庭科室で子どもたちと遊ぶ。楽しい毎日。
 4月からの常勤講師の話が来て「良かった!これで喰いっぱぐれがない!」と勇んで行ってみると「6年担任だから!」と衝撃を受ける。
 初めての担任、なにもかも初めてで嬉しいこともつらいことも泣いたこともいっぱいあった。でも、やり甲斐があって本当に楽しいって思った。そして、本物になりたいって思った。(でも採用試験はダメだった)
 次の年、また1年間の常勤講師。通勤時間5分!5年生担任で良い子どもたち、ステキな同学年の先生にもめぐまれ、定時で帰って勉強できた。本当に感謝の一年。
 くわしい勉強法などは下を。

■やった勉強の話。

2004年1月から3月6年生担任
・参考書(ランナー)をノートにまとめる。教育原理、法規中心。 心理は専門で勉強したのでスルー。
○卒業式練習、通知表、要録、卒業式、離任。
↑この○は、その月にあった主な行事などです。

4月5年生担任
・問題集に挑戦。法規中心。間違った問題を、作ったノートに 書き込んでいく。
○赴任、黄金の3日間、運動会練習開始。

5月
・問題集に挑戦。原理中心。間違った問題を、作ったノートに 書き込んでいく。
○運動会。

6月
・やばいそろそろ1ヶ月前だっ!というので、専門学校に通う。 作ったノートに新しく覚えたことを書き込んでいく。
・専門学校ではとにかく過去問題を解いて解説。その時に今年の傾向とかの情報が教えてもらえる。
○通知表

7月
・東京試験。受験慣れしていないので模擬試験感覚で受けてみたら、問題数も難易度も予想に反して低い。およよ。
・福岡市試験。2年目で少しは受験慣れしたつもりだったけど相変わらず問題数が多くて時間もなくて撃沈。意気消沈。
・とか思いつつ、うっかり受かったらやばいなぁと思いながら2次のピアノの練習をちょこっとする。試験の情報などはおもに2ch教育板で。試験の解答速報も親切な人がうpしてくれます(東京は都庁に行けば答えが見れるのです)(自己採点の結果もうpしててボーダーとかも予想するんだよね!)(福岡は「あの問題どうでした?」系の書き込みにみんなが答えていくのでヒヤヒヤします)。
○夏休み

8月
・うっかり筆記試験に両方合格する。
・あわてて東京試験の模擬授業の指導案を作る。去年のフロンティアでやってたヤツにする。
・福岡の2次試験の実技(マット、跳び箱、鉄棒)の練習。あり得ない。水泳とパソコンはもう出たとこ勝負。得意なので問題なし。
・ピアノはノーコメント。前奏からやっておけばよかった。
東京2次試験その1(面接)。試験官の「キミはやっぱりTOSSか!」の一言にへこむ。模擬授業も「上手すぎるよね」3分もしないウチにカット。
・あくまで「東京に合格したい!」という意気込みを伝えなくてはならないので、「彼氏が東京にいます」みたいなことを言う。御陰であまりつっこみはなかった。基礎基本などについての質問が多かったなぁ。
福岡市2次試験
一日目→面接、二日目→体育、三日目→ピアノ・パソコン、四日目→筆記&適性検査
だった。

一日目→面接は本当に緊張しまくっていた。試験官の先生が「この人は大丈夫だろうか」と心配していたそうだ。何を話したか覚えているので、去年より進歩してるね。
同和とか、いろんな研修で聞いた話をフラッシュバックのように思い出し、「聞いてて良かったなぁ」と思った。

・二日目→体育はもうなるようになれ!と考えていたところが・・・。過去問から、今年は最近出ていないマットか?とか去年と同じ鉄棒か?とかいろいろ考えていたが練習以外になくて。夏休みは体育館借りてバスケと器械運動の練習をしていました。鉄棒以外。
なんとまぁ、おもいっきり鉄棒とサッカーでした。ガッデム。水泳はできるから50だろうが100だろうが 何でも良かったんですが、鉄棒とは!!今だから言えるけど、できなくても誠意や一生懸命さが伝われば、大丈夫だと思います。はい、できませんでした。

・三日目→ピアノ・パソコンは、もうピアノだけやってました。本番はボロボロだったけど・・・。できなくても、前奏からやった方が良いです。
パソコンは、WORDと一太郎が選べて、学級通信を作るんだけど、私は毎日WORDで学級通信を作ってたし、もとからパソコンできたので楽勝でした。周りを見たら、半分もできていない人もいてちょっとびっくり。

四日目→筆記&適性検査ですが、適性検査で疲れたのは痛い。集団式ロールシャッハとか専門で勉強してたので、検査結果をちょっと判定できたりもしたりして。
筆記は指導要領です。指導要領をしっかり全教科しておけば安心。あと、パソコンばかりでなくて漢字をちゃんと書けるようにしておかないといけないなぁ・・・と思いました。
○夏休みのはずだったのに・・・。

9月
東京2次試験二日目。水泳とピアノ。水泳も25mだし、楽勝でした。ピアノも福岡のと同じような感じ。ただ、水泳のプールが深かったというだけ。

10月
・東京発表。ネットで見て、補欠合格の所を探していて、載ってなくて同学年の先生をあわてさせる。「他のところも見て!」と言われてやっと違うところを見ていたことに気づきました。はい、合格でした。
・福岡発表。発表の直後、市役所で働いている弟からのメールで合格を知る。ネットでも出ていなかったので信じられなかったけど、その後ネットでも確かめて、やっと一安心。

2005年2月
・各書類提出。それまでなんの音沙汰もない福岡市。「本当に合格してるんだろうか」と超不安になってしまったけど、めでたく招集の連絡が来る。
・企業で働いていたときの在職証明書はほんと、給料の査定にも関わるらしいので全部取っておくことが大事。(←取り忘れているところがあったの・・・)

3月
・採用内定。研修室で座る座席の番号がほぼ内定した学校の学校番号なので、通知をもらう前にメールで先輩達に聞いて調べてもらいました(ヲイ)。
だってね、座る→研修1時間→内定校発表 なんだよ!1時間の研修に身が入らない入らない(笑) ・その後、新しい校長先生に連れられて、新しい学校へ行ったのです・・・。

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